闘病記

脆弱な心のままに

帰省の話


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「これ、誰だっけ?」

と僕は『改めてご挨拶させていただきます』と書かれたはがきを見て尋ねた。
「あなたの遠縁のお姉さんよ。昔帰省のときに遊んでもらったの覚えてない?」

ああ、あの人が僕の―――――。

 

 

高3の夏、僕は瀬戸内の両親の実家に来ていた。
遠いし、受験勉強もしなければならないのだが、母曰く「中学も高校もずっと部活で来てなかったでしょ。もう引退したんだし、勉強道具持っていけば向こうでもできるじゃないの。」だそうだ。
確かにしばらく行ってなかったし、抵抗する理由も大してなかったので付いていくことになった。

 

到着するなり大きくなったね、とかいま学校では何をしてるの、とか儀礼的な家族挨拶をされ、それがひとしきり終わると祖父母は両親と世間話に移り、僕は解放されることになった。
とはいえ、ここは瀬戸内の田舎である。ゲームも無ければ漫画も名前だけ聞いたことあるような古いものばかりだ。仕方ないので家の中をフラフラしながら物色していると、毎年の親族の年賀状が飾られている場所に一枚のはがきを見つけた。

 

『改めてご挨拶させていただきます』
結婚式の披露宴の写真のようだ。日付は一年前。
年齢は10個は違わないぐらいだろうか。艶のある黒髪に薄い唇、鮮やかな色打掛に凛とした佇まいはいかにも大和撫子という雰囲気だ。
文面からするに祖父母は出席しており、写真ができたから送るというものだった。

 

なんとなく引っかかるものがあり、母に尋ねてみたところ、どうやら親族のお姉さんらしい。
母の母、つまり祖母の姉の息子の娘姉弟(きょうだい)。僕から見てなんと呼ぶかはわからないが、遠い親戚であるのは確かだ。
昔遊んでもらったことがあるというが、前に来たときもこの家では祖父母にしか会ってないはずだったが。

 


その後も無駄に広い田舎の家を探索していると、ボロボロになった虫網が納屋に立てかけてあった。懐かしいな。ちょうど……7年前だ。小学5年生の同じく夏休みに来た以来、帰省には付いて行かなかったので、まだ取ってあるとは思わなかった。
あのときもなかなか終わらない大人どうしの会話に飽きていて、虫取りしに出かけたんだっけ。

 

何だかむずがゆいような郷愁に駆られた僕は、当時の記憶を思い起こしながら外に出ることにした。

 

入道雲の隙間から日差しが照りつける。瀬戸内特有のからっとした空気と暑さは、いつも湿っぽい神奈川で暮らしている僕にとって夏の本当の気持ちよさを教えてくれるようだった。

 

海沿いの道をしばらく歩き、角の商店でコーラを買ってから道を曲がる。そうして坂を上った先に山が……やっぱりあった。どうやら記憶の中の風景といまはほとんど変わっていないようだった。


山道を歩きながら周囲を見渡す。青々とした広葉樹に、食べられるかわからない赤い実など。少し変わったことといえば、通る人が減ったからか道に雑草が長々と伸びていることだろうか。

 

記憶よりも早く山頂についた。あのころ山に感じていたここは小高い丘ぐらいの高さだったらしい。それでも頂上からは周囲を一望することができた。どこも平屋ばかりで空が広い。


海の向こうに見えるのは四国だろうか?瀬戸内は島が700もあるというから、近くの島が見えるだけかもしれない。そんなことを思いながらひと息つこうとコーラを飲んだ途端、あの写真の女性の姿が脳裏に浮かんだ。

 

 

そうだ、ここで彼女と会ったのだ。確か、ここで同じように眺めてたときに後ろから話しかけられて―――――。一度記憶を掘り起こすと、あのときの光景が堰を切ったように蘇ってきた。

 

 

 

7年前、彼女は唐突に後ろから現れた。
「ねぇ、タマムシ、欲しい?」
そんな初対面の挨拶があるかと思った。
今日は先客がいるとはね、とぼそっと彼女は言った。この場所はお姉さんの小さい頃のお気に入りの場所で、よく来ていたそうだ。東京の大学に通っていて、夏休みだから帰ってきたそうだ。
およそこの地域にふさわしくない赤い花柄のワンピースに白い肌のお姉さんは、ちょっと宙に浮いたような綺麗な人だった。
ここの地元の子、と聞かれたので、この場所にたどり着くまでの経緯を話した。お姉さんは上の方を眺めて少し何か考えたかと思うと、そっか、と笑った。
そうして手に持ったタマムシを僕に見せびらかしながら、タマムシの翅は構造色だからなんとかとか、カタツムリの殻の表面がなんとかとか得意気に話してくれたが、そのときの僕には難しかったのでよく覚えていない。
流れるような説明のあと、僕の虫かごにそっとタマムシをしまい、何も持ってなかった僕を気遣って飲み物を一口くれた。ありがとうと言ってボトルを返すとお姉さんはなんの躊躇いもなくそれを飲むのでなんだか僕の方が恥ずかしくなってしまった。

 

その後は一言二言話して僕の虫捕りに付き合ってくれ、ふもとの商店でパピコを買ってくれた。勢いよく吸って頭痛そうにしてるお姉さんが面白かった。落ち着いて大人びた雰囲気があるのに、僕と話すときはクラスの友達が話すときみたいに少しやんちゃで、朗らかな人だった。

 

砂浜の手前縁の堤防に腰をかけ、二人してパピコを吸っていた。もう夕日が落ちかけていた。お姉さんはどこか遠くを見つめるような顔で夕日を眺めたまま黙ってしまったので、僕も話しかけられずに一緒になって黙っていた。


海風が吹いて、お姉さんの匂いがした。ちょっと照れていたと思うが、夕頃だったので多分バレていなかっただろう。

 

お姉さんは我に帰ったかと思うと、このあたりは夜真っ暗になるから、と言ってこの不思議な時間は急にお開きとなってしまった。
先ほどの照れが抜けきってなかったこともあり、お見送りを断ってそそくさと帰り道を急いだ。パピコのゴミはなんとなく両親に見られたくなくて途中のごみ捨て場に投げた。

 

翌日にもう一度山に行ってみたもののお姉さんに会うことはなく、どこの誰かもわからないまま帰省が終わり家に帰ってきたのだった。
当然、あれからお姉さんと一度も会うことはなかった。

 

 

―――――そうか。あのお姉さんが。いつの間に結婚していたんですね。
はがきの写真を思い返してみる。あのとき会ったお姉さんからやんちゃな雰囲気は抜け、清澄な雰囲気を纏っていた。お姉さんがどこか記憶の中から遠くへ消えていってしまうようで少し寂しくなった。
『遅くなり心配かけることもありましたが…』
25歳で結婚は、この地域の人にとっては少し遅いのかもしれない。すると、今は26歳か。当時は19歳。いまの僕とひとつしか変わらないのか。同級生や先輩を見ていると、そこまで大人には見えないように思うが、お姉さん、いや彼女のもつ雰囲気がそう見させていたのだろう。


彼女のことを懐かしみながら山を降り、角の商店でパピコを買った。そうして砂浜の手前縁の堤防に腰をかけ、当時と同じく落ちる夕日を眺めていた。

 

山からはヒグラシの声が響いていた。夏といえども、このあたりは夕方になれば涼しくなるらしい。風が吹くと海藻の匂いがした。勢いよく吸ったアイスのせいで頭が痛かった。僕は苦笑いしながら二本目を開け、ぼうっと夕焼けを眺めながら、少しだけ泣いた。